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林先生が驚く初耳学!を見て、日本の教育問題について考えた①

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こんにちは、留年ちゃん(@ryunenchan1)です。

 

 

昨夜放送していた「林先生が驚く初耳学」というテレビ番組で、「日本の教育は150年遅れている」と取り上げられていました。150年前に取り入れられた集団教育が形を変えていないことを、初めて知りました。私は教員志望ではないし、教職課程すらとっていないのですが、教育問題に多少なりとも関心のある一大学生の考えを今日は書きます。

 

2020年の教育改革(アクティブ・ラーニング、英語の4技能評価、センター試験廃止など)のニュース、たまに見ますね。良い改革のように見えますが、裏では教員不足や教師の負担の大きさの問題が叫ばれていますね。

 

それを踏まえ、教師を目指す大学生が林先生に質問する形で番組は進められました。

 

集団教育は誰に合わせるべき?

高いレベルに合わせるべきか、平均レベル、それとも勉強が苦手な生徒のレベル?林先生は、現状の教育現場では、平均に合わせるしかないだろうと言ってました。私も平均に合わせるしかないと思います。

特に公立の小中学校での問題だと思います。私も小学校から高校まで地方の公立で過ごしました。高校からはそれぞれレベルに合った学校を選択するから良いのですが、中学までは本当に悲惨。というか、中学に入って学習内容のレベルが上がるので、より上と下の差が開くので、中学が最も悲惨なように感じます。中学時代に学習面で最も驚いたのは、隣の男の子が、社会のテストで3点(100点満点)をとっていたこと。彼と隣の席だったのは中1のときだったので、内容は日本史中世あたりでしょうか。はっきり言って歴史のテストは暗記ですよね。しかも、歴史って小学校の時にも少しは習ってるはず。それで3点ってどういうこと?と私には理解できませんでした。彼は社会以外のテストもほぼ一桁でした。喋っていれば面白い普通の男の子です。こんなに勉強ができない人がいるのか、と驚きました。

東大生で教員志望の女性が、「できない子に合わせて、その身になって考えることが大切」と、できない子に合わせる主張をしていましたが、もし私が中学の時に社会3点の子に合わせた授業をされていたら、堪ったものではなかったです。ただでさえ、中学の授業は私にとっては簡単で、少し物足りないものだったのに、3点に合わせて、彼がなぜ理解できないのか考えろ、なんて言われても、彼がなぜ分からないかなんて分かりません。歴史の授業に理解できないもなにもあるのでしょうか?歴史なんて、ほぼ物語を読むようなもの。中1レベルの社会のテストが解けないのは、もはや基礎的な読解力に問題があるとしか思えません。そのレベルに合わせていたら、それこそ日本全体の学力が落ちるのでは?

 

小学校入学時点で差がついている

林先生もお子さんがいて、公園に行くそう。子供を見ないで、スマホばかりかまっている親が多い、自分は何も教育をしないで、すべて学校の先生の責任というのはどうなのか?という、林先生の主張。公園でスマホを触っているから何も教えていないというのは極端な意見だけど、これもまた林先生の意見に頷ける。

幸いなことに、私の親は、小学校に上がる前に、よく本の読み聞かせをしてくれたし、そのおかげで文字の読み書きもできるようになった。足し算や引き算も、きっちりとではないけれど、日常生活に混ぜて教えてくれていた。(保育園でも少し教えてくれていたかも?)

小学校に入ってすぐ、ひらがなが書けない子がいて、みんな驚いていた。私の通っていた小学校は、ほとんどがA幼稚園とB保育園から入学してくる。その子は保育園に通っていなかったか、他の保育園に通っていたか、覚えていないけど、AにもBにも通っていなかったことは確か。AとBではひらがなを習っていたんだと思う。その時点でスタートが違った、それが大きな原因かは分からないけど、その子は小学校高学年になってもそんなに勉強が得意ではなかった。

あと、高校の保護者会で、「最近成績が下がり気味だから、うちの子がちゃんと宿題やってるか、気にかけてあげてください」とわざわざ言う保護者がいたらしい。ちなみに公立の高校である。高校も当たり前になった時代とはいえ、高校生になってまで特別扱いを望む親ってどうなんだろう?しかも公立高校だ。私の住んでいた自治体は高校の授業料が無償化されていた。無償で授業を受けていて、厚かましすぎないだろうか?そんなに手厚い教育を受けたいなら私立に行かせればいいのに、と高校生のころも思った記憶がある。

小学校入学時点、から話が逸れたけれど、小学校低学年レベルの授業なら、親でも教えられるレベルだろうから、小学校低学年くらいまでは学校のせいにしずに、もう少し保護者自身が責任を持つべきではないだろうか?それでもだめなら、塾に通わせるなりするしかないと思う。平均に合わせた授業が行われているのに、ついていけないことを40人の生徒を見ている教師に責任をすべて押し付けるのは、教師の負担が大きすぎる。まず、教師の仕事って、40人の生徒全員に授業を理解させること、なのだろうか?

 

自分の成功体験を伝えるのは危険

 いかにも体育会系リア充って男性が、「文化祭などの学校行事や部活動を通して、成功体験をしてほしい」と語っていました。彼は人生でキラキラした成功体験をいろいろ経験してきたんだろうな、と思います。

林先生は、高校でラグビー部に入ったけど、向いてないことをやるのは無駄だった、ということしか得られなかったと言いました。つまり、部活動で成功体験は得られなかったということ。大学生の彼が体験した成功だけが、成功じゃない。その人に合った成功体験を見つけてあげられれば、一番いいんだろうな。けど、40人学級を見て、1年間で40人40通りの成功体験を与えられるのは、本当に難しい。それこそ、授業レベルの話のときに勉強が苦手な生徒の指導法が話されていて、1mmでも伸びたら褒めると良い、と言われていたんだけど、それも小さな成功体験だよね。それですら、難しいんだけどね。

多様化が認められている現代だからこそ、多様な成功体験がある。

 

 

読み返すと、かなり主観的で感情的な意見になってしまいました。

もう少し書きたいですが、長くなってしまったので、記事二つに分けます。

 

ryunenchan.hatenablog.com

 

 

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