MENU

スポーツの感動って選手の怪我は関係ない

(スポンサーリンク)

こんにちは、留年ちゃんです。

 

今日は箱根駅伝の復路が行われましたね。総合優勝は東海大学、おめでとうございます。なんと初優勝だそうですね。よく見る気がするので優勝したことあるのかと思っていました。

 

 

今日書きたいのはスポーツでのアクシデントについてです。

昨日の箱根駅伝往路での出来事、大東文化大の1区走者の新井選手の転倒について、大迫傑さん(陸上選手)のツイートが話題を呼んでいます。

 

 

 

私は生で見ていなかったのでよく分からないのですが…

大東文化大の新井康平選手が序盤で転倒し、足を引き摺りながら完走したとニュースで見ました。

 

これを受けて、感動した、という声もあれば、大迫傑さんのようにこの感動は果たして正しいのか?と疑問を呈している人もいます。

 

私は、大迫さんと同じく、このような感動には反対です。

 

感動って選手の健康を害してまで得る必要があるのでしょうか。私たちに感動を得る権利があるのでしょうか。

 

今回の駅伝でもそうですが、私の好きな高校野球でも同じように、怪我をしても投げ続ける投手などが感動シーンとして画面に切り取られることがあります。今年の夏は金足農業の吉田輝星投手が地方予選から甲子園決勝終盤まで1人で投げ抜いていたこと、数年前には花巻東の菊池雄星投手が腰の骨折の痛みを堪えながら投げていたことが記憶にあります。

 

菊池雄星投手はプロ入り後も順調に活躍し、メジャー挑戦とも言われていますね。

しかし、高校や大学時代の酷使が原因で選手生命を縮めてしまった人も少なくないと思います。

 

 

今回、転倒をしたのは四年生の選手でした。最後の箱根駅伝です。もしかしたら、陸上選手として大会に出るのも、今回が最後だったかもしれません。

しかし、それでも、彼を完走させるべきだったのでしょうか?人生最後の箱根駅伝を、怪我をしてまでも走らせるべきだったのでしょうか。

もしかしたら、日常生活に支障を来たす怪我になるかもしれません。それでも、彼は走りたいと言うかもしれない。かもしれない、かもしれない、ばっかりだけれども、それでも選手の将来を考えて止めるのが指導者ではないのだろうか。彼らの努力を間近で見てきた指導者が、そんな彼らを止めるのは心苦しいだろう。だけれども、本当に選手のことを考えるのならば、止めるのも指導者の仕事だと思う。

 

 

そして、怪我や故障に苦しみながらもスポーツを続ける人を見て感動すること、その感動は間違ってませんか?

怪我をして、更に怪我を悪化させる人を見て感動できるなんて、鬼だ。

 

棄権をすることで選手が可哀想と非難を起こすのは、間違っていませんか。怪我を悪化させる選手の将来のほうが心配だ。

 

 

感動ってなんなんだろう。

プライバシーポリシー お問い合わせ