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【戸塚ヨットスクールの特番を見て】体罰には反対

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こんにちは、留年ちゃんです。

 

今日、テレビで戸塚ヨットスクールの特番を見ました。(事情により、途中までしか見ていませんが...)

戸塚ヨットスクール事件 - Wikipedia

 

両親も一緒に見ていたのですが、両親は「体罰はあってもいい」という意見で、ゾッとしました。言葉で言うことを聞かないのならば、暴力も致し方ない、という意見です。

私自身は実際に、両親からは日常的に暴力を振るわれたわけではありません。しかし2度ほど叩かれたことはあります。正直言ってあまりいい思い出ではありませんし、そこでなにかを反省した記憶もないです。確か、学校に行きたくないとごねたときに叩かれた気がしますが、そこで叩いたことによって、問題の根本を解決する糸口にはならなかったはずです。

 

基本的に、我が家の両親は、相手の話を聞くことが得意ではありません。会話から相手を理解するということができていない気がします。私が意見や気持ちを述べていても、途中で「それは違うだろう」と必ず遮断してきます。特に、私は話すということが苦手なため、途中で「もういいや」という気持ちになってしまうのも良くないかもしれませんが、話すことが得意でない原因は、話を遮断する両親にもある気がします。

 

学校教育の現場と、家庭ではまた、話がちがうかもしれません。しかし、子供の教育に悩んだ末に、暴力・体罰という教育法に頼るのはおかしくないか?暴力で何かが伝わるのか?根本の問題は解決するのか?

 

「本当に悩んだら、こういうことを頼っちゃうこともあるのよ」と母親は言った。おそらく、母親は私が不登校になりかけたときに“本当に”悩んだのだろう。しかし、母親の中での正解が「とにかく学校に行くこと」でしかなかったのは、間違っていた。そのことについて考えたことはあるのだろうか。悩むだけで、考えてはいないのだろうなと思う。私が不登校になっていたら、何も考えずに戸塚ヨットスクールに入れられたのか?叩いたのか?怖すぎる。

 

問題児の対処の仕方は難しいだろう。しかし、そこで暴力をふるうことで何が解決するのだろうか。体罰を受けた者は、どういった思考のプロセスを経て、行動を改めるのだろうか。その思考のプロセスの中に、真の問題解決が起きなければ、体罰の意味がないのではないか。体罰では、表面上の解決しかできないのではないか。

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